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02.北軽井沢の風土と特色 |
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■気候・環境・安全についての質問集
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02.北軽井沢の風土と特色●北軽井沢について北軽井沢の地名がついたのは、昭和初期です。最近になって、軽井沢観光ブームにあやかって、軽井沢に「北」という文字を付けたわけではありません。もともとは、法政大学の学長、松室致先生が所有する広大な土地(山)を法政大学の先生方に昭和3年(1928年)に坪1円で分譲したことから始まります。電気が来たのは昭和4年、水道が引かれたのは昭和5年でした。 ●北軽井沢ブルーベリーYGHの位置 むかし、北軽井沢●●YHという宿がありましたが、北軽井沢から、とんでもなく離れていました。しかし、北軽井沢ブルーベリーYGHは、北軽井沢の交差点から、2キロ(歩いて30分・車で5分)のところにあります。嬬恋村と長野原町の境界線に位置しています。一応、住所は嬬恋村になっていますが、長野原北軽井沢という住所で郵便を送っても、ちゃんと届きます。ちなみに、つい最近まで、このあたりの小学生は、北軽井沢小学校に通っていました。 ●北軽井沢の風土 昔から北軽井沢には、住民は少なかったです。北軽井沢が開発されるようになったのは、大正12年に東京大学関係者により一匡村が設立され、昭和3年に法政大学関係者により開村されてたらです。つまり文化人が作った村なんですね。それだけに別荘族が多く、今でも夏になると、有名人著名人がひっそりと避暑に訪れます。地元の人も、外部から入ってきた人が多く、それだけに、排他的なところはありません。むしろウエルカムな人が多く、例えて言うならば、北海道の雰囲気があると言った方がよいと思います。 ●北軽井沢の人情 北軽井沢はド田舎です。しかし、別荘族が多く、住人の大半が、最近になって都会から移住してくる人が多いために、人情は都会のものそのものです。決して閉鎖的なところではありませんし、田舎のもつローカルさも薄いです。しかし、移住してきた人たちの大半は、田舎暮らしに憧れている人たちばかりなので、変な意味での田舎っぽさはあります。つまり、田舎を満喫する、田舎を演じる都会人なんですね。 |
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